2010年8月30日月曜日

「iPadが大人気だが・・・」のご紹介

「OHM」2010年8月号に掲載された上記記事を小生が運営するウェブサイトに再録しました。

[概要] iPadが大人気だが、果たしてiPadとiBookstoreが今後の電子書籍市場の本命なのだろうか? と言うのは、今後は、どの電子書籍も読める電子書籍端末と、どの電子書籍端末でも読める電子書籍が求められるようになると思われるからだ。―――>全文を読む

2010年8月10日火曜日

電子書籍の「中間フォーマット」は必要か?

政府の懇談会が「中間フォーマット」を提唱

この3月から総務省が中心になって、文部科学省、経済産業省と3省合同で、「デジタル・ネットワーク社会における出版物の利活用の推進に関する懇談会」という会議を開催してきた。その目的は、「デジタル・ネットワーク社会に対応して広く国民が出版物にアクセスできる環境を整備すること」だというが、端的に言えば、「昨年来米国で急速に立ち上がりつつある電子書籍の市場に日本はどう対処すべきか」という問題だと思う。

この懇談会が6月28日に「報告」を公表した。(1)

その中に、電子書籍の「中間フォーマット」の策定を推進するという項目がある。現在日本には「XMDF」(シャープ)、「ドットブック」(ボイジャー)という、フォーマットが異なる電子書籍があるので、統一された中間フォーマットを制定することによって、出版社が複数の配信用フォーマットに対応するのを容易にしようというのだ。

しかし、この計画にはどれだけ意味があるのだろうか?

真に必要なのは配信用フォーマットの統一

現在米国では、アマゾン、ソニー、バーンズ・アンド・ノーブル(B&N)、アップルの電子書籍は、それぞれフォーマットまたはDRM(ディジタル著作権管理)が異なるため、一部を除き、それぞれ専用の電子書籍端末またはリーダー・ソフトを使わないと読めない。日本でもシャープとボイジャーのフォーマットが違うのは上記の通りだ。

したがって、電子書籍端末を買う人は、それで将来どれだけ本が読めるのか心配になる。また、電子書籍を買う人は、将来もそれを読む端末が入手できるのか心配だ。現に日本では過去に、松下電器とソニーが電子書籍から撤退した。

VHSとベータマックスが熾烈な戦いを繰り広げていた時代に、ベータマックスのビデオテープ・デッキやビデオ・ソフトを買った人のような羽目にならないか心配するのは至極当然なことだ。

これが、「『Eブック』が離陸しないのはなぜか?」にも記したように、従来電子書籍が本格的に普及しなかった最大の原因である。(2) 米国でも、現在のように規格がばらばらな状態では普及に限界があると考えている。したがって、最大の問題はDRMを含む配信用フォーマットの統一であって、これはいくら立派な中間フォーマットを策定しても解決しない。

現在はEPUBが優勢

現在、ソニー、B&N、アップルの電子書籍に互換性がないのはDRMが違うからで、フォーマット自身はEPUBで共通である。そして、2009年8月、グーグルは今後100万冊以上の著作権が切れた書籍を順次EPUBで公開すると発表した。現在同社のGoogle Booksで、EPUBで読める本は、ディッケンズの小説やシェークスピアの戯曲の一部などまだごくわずかだが、今後増えていくものと思われる。

EPUBの特長は?

EPUBの特長としては、まず、ウェブとの親和性が高いことがある。EPUBの仕様の元になっているのはウェブページの記述言語XHTMLやウェブページのフォーマットを記述するCSSだからだ。そのため、将来ともウェブとの高い親和性が維持される可能性が大きい。

新聞・雑誌などでは、電子書籍として出版されるとともに、ウェブページとしても配信されることが多いので、この親和性はきわめて重要である。

もう一つの特長はEPUBがリフロー型で、画面のサイズに応じて1行の文字数を変えられることだ。この点が紙の1ページをそのまま1画面にするPDFとは基本的に違う。今後電子書籍を読む端末が、小画面の携帯電話から大画面のパソコンまで各種出揃うので、この点も重要である。

そして、EPUBは電子書籍の配信用に限らず、一般企業内での文書の交換や、作家や一般企業から出版社への原稿の送付にも使われることを想定している。もしこういうことが一般化すれば、別の「中間ファイル」は不要になる。

EPUBの限界は?

では、EPUBでは対応できない出版物はないのだろうか? マンガなど、1ページのレイアウトが決まっているものの電子化には向かない。また、数学の論文など、微積分などの特殊な記号が頻発する文書の電子化も困難だ。これらの文書の配信には現在のEPUBの拡張または別の規格の制定が必要である。これは中間フォーマットの制定で解決する問題ではない。

EPUBの日本語対応は?

現在のEPUBは縦書き等の日本語固有の表記ができない。そのため、今年4月、日本電子出版協会(JEPA)が日本語固有の表記を取り込む仕様案をまとめて、EPUBの規格の管理元である米国の団体のIDPF (International Digital Publishing Forum)に提案した。(3) そして、IDPFはその提案を次期EPUBの検討課題の一つとして挙げている。(4)

その仕様案には、縦書き、禁則処理(行頭や行末の記号についての制約)、ルビなどが含まれている。

これら日本語固有の表記のEPUBへの取り込みはもちろん望ましいことだが、これが実現しないと日本語の文書にEPUBを使えないというわけではない。日本の書籍でも、理工学関係や実用書以外にも横書きのものが増えつつあり、小説や古典も横書きで読めないことはない。それが証拠に、中国や韓国は日本と同じようにもともと縦書きだったが、現在ではほとんどの書籍が横書きになっている。要するに慣れの問題だ。

ルビは必要なら漢字の後にひらがなを括弧付きで表記すればよい。

禁則処理は、あるに越したことはないが、不自然さを少々我慢すれば済む。

現在のEPUBにはこれらの機能がない。しかし、日本語の文書のサンプルを現在のソフトでEPUBに変換したファイルを、現在米国で使われているEPUBのリーダー・ソフトで読めば実用上は十分読める。

ボイジャーの執行役員の小池利明氏は、「将来、EPUBが真の意味で、多言語対応した世界標準の電子書籍フォーマットとなるかどうか? その可能性は高いだろうと思われます。」、「将来、EPUBが真の世界標準になった時は、すみやかに.bookをEUBへ移行させることは十分視野に入っていることです。」と書いている。(5)

国際的な市場動向とユーザー・ニーズの重視が必要

今回の懇談会の「報告」も、一方では、「(EPUBは)グーグル、ソニー、アップル等のグローバル企業が採用し、EPUBを閲覧フォーマットとする電子出版の提供が世界的に拡大する傾向にある」と言っている。「中間フォーマット」の提唱に当たっても、この現状認識を十分に踏まえてもらいたい。

また、本「報告」は、ファイル・フォーマット統一の必要性について、出版物の「つくり手」の生産性の向上を強調していて、ユーザーから見たファイル・フォーマット統一の必要性についてはまったく触れていない。しかし、全体から見れば、後者の方がはるかに重要である。「つくり手」の生産性はこの後者の問題が解決した上での話だ。

懇談会のメンバーが「つくり手」中心なのでこうなったのだろうが、ユーザーの視点からの問題の捉え方が不足している。

(1) 「デジタル・ネットワーク社会における出版物の利活用の推進に関する懇談会 報告」、2010年6月28日、総務省

(2) 「『Eブック』が離陸しないのはなぜか?」、OHM、2009年3月号、オーム社

(3) “Minimal Requirements on EPUB for Japanese Text Layout”, 2010/04/01, Japan Electronic Publishing Association (JEPA)

(4) “EPUB 2.1 Working Group Charter – Draft 0.10”, 2010/04/27, IDPF

(5) 「ePUB 世界の標準と日本語の調和」、マガジン航、2010年7月4日、ボイジャー

2010年8月4日水曜日

ウィルコム再建スキームが軌道修正

ソフトバンクがウィルコムを全面支援

8月2日のソフトバンクの発表を踏まえ、日本経済新聞は「ソフトバンク、ウィルコムを全面支援」と報じた。(1) 3月12日に発表された当初のウィルコムの再建スキームでは、ウィルコムの次世代PHSであるXGPを新会社に移してソフトバンクほかが支援し、ウィルコムのPHS事業は本体に残して、投資ファンドであるアドバンテッジパートナーズほかが支援することになっていた。

この当初のスキームでは、ソフトバンクは新会社には出資するが、ウィルコム本体には出資しない計画だった。しかし、今回ウィルコムの管財人からの要請を受け、ソフトバンクはウィルコムの金融機関などに対する債務410億円の支払いを引き受けるとともに、事業家管財人を派遣することになったという。

もともと無理だった当初の再建スキーム

当初の再建スキームには疑問点が多いことを3月16日の本ブログ「ウィルコム再生計画の疑問点」で指摘した。そこに、PHSとXGPを資本関係がない別会社に分離したら、PHSユーザーを順次XGPへ移行させるという従来のウィルコムの計画が実現困難になると記した。そして、企業再生支援機構の「XGPがなければウィルコムは再生しないというわけではない」という見解に疑問を呈した。

日経新聞によると、「想定より(現行PHS)事業の毀損が激しく、再建自体が難しくなってきたため、ウィルコムの管財人がソフトバンクに全面的な支援を要請していた」という。(1) PHSの契約数は昨年12月末の430万人から、今年6月末の388万人へと、最近半年間で42万人(約10%)減っている。(2) しかしこれは、移行先の事業計画が不明確で、現ユーザーに対する移行の優遇策などがはっきりしなければ当然なことだ。現PHSの事業再建のためには、これらの移行戦略の明確化が必要なことは最初から分かっていたはずだ。

ソフトバンクは「大誤算」か?

産経新聞社は本件について、「ソフトバンク“大誤算”、ウィルコム全面支援で410億円の借金背負う」と報じている。「ウィルコムの約400万契約者と次世代技術を最小限の投資で取り込もうとしたもくろみは外れた」という。(3) しかし、はたしてそうなのだろうか?

たしかに、今回ソフトバンクは、ウィルコムの債務410億円を負担することになった。6年間の均等分割で支払うという。しかし、3月に当初の再建スキームが発表されたときは、ウィルコムの金融機関などへの債務は総額1,495億円で、そのうち1,145億円(約77%)が債権放棄される予定ということだった。今回これが410億円になったということは、予定より多少少ないが1,085億円(約73%)が債権放棄されたということになる。

当初からソフトバンクがウィルコム全体の支援に乗り出していたら、これだけの債権放棄は難しかっただろう。ソフトバンクにとって、ウィルコムの400万人弱の顧客ベースの獲得が必要だったとすれば、ソフトバンクがウィルコム全体を入手する費用が数百億円安く済んだという見方もできる。

ソフトバンクの二つ目の深謀遠慮?

5月3日の本ブログ「ソフトバンクが中国方式を採用!?」に記したように、ソフトバンクは当初の再建スキームで入手したXGPを止めてTD-LTEを採用するという。今回当初の再建計スキームでは関与しないことになっていたウィルコム本体の支援に乗り出せば、再建スキームの2回目の軌道修正になる。

XGPを時期を見て中止することは、当初からソフトバンクの孫社長の頭の中にあったのではないかと上記ブログに記した。そして、今回のウィルコム本体の入手も当初から孫社長の頭にあったのではないかと思う。しかし、「ウィルコムの再建にXGPは必ずしも要らない」と言う企業再生支援機構の下では、交渉は有利に進められない。そして、ソフトバンク側から積極的にウィルコム本体の支援に乗り出せば、金融機関による十分な債権放棄は期待できない。

孫社長は管財人が頭を下げて頼みに来るのをじっと待っていたのではないだろうか。経営にはスピードが大事だといっても、最小の対価で最大の収穫を得るには忍耐も必要だ。ライオンは獲物が十分弱るのを待ってから襲いかかるという。待っていればほかの獣に獲物を横取りされるリスクもあるが、無駄なエネルギーの消費を極力避けることが生存競争には必要なのだ。

今回の再建スキームの軌道修正も、実はソフトバンクの深謀遠慮の一つなのかもしれない。

(1) 「ソフトバンク、ウィルコムを全面支援」、日本経済新聞、2010年8月3日

(2) 「携帯電話・PHS契約数」、電気通信事業者協会

(3) 「ソフトバンク“大誤算”、ウィルコム全面支援で410億円の借金背負う」、SankeiBiz、2010年8月4日、産経新聞社

2010年8月3日火曜日

路頭に迷うWindowsユーザー・・・メール・クライアントとアドレス帳について

Windows 7のアドレス帳はどこにある?

この4月に、Windows 7をインストール済みのノートPCを買った。ところが何と、これには、日常最もよく使うメール・クライアントが付いてない。従来使っていた、Windows XPにはOutlook Express、Windows VistaにはWindows Mailというメール・クライアントが付いていたが、Windows 7にはない。一体どうなっているんだ?

マイクロソフトの公式見解によると、下記二つの選択肢があるという。(1)

(a) 他社のメール・クライアントを使う。(Thunderbirdなどにどうぞ移行して下さい、ということのようだ)

(b) Windows Live Mailという無料ソフトをダウンロードして使う。これを使えば、アドレス帳がサーバー側にあり、Windows Liveで自動的に更新されるので、常に最新のものが使えるという。そして、Windows Liveに接続してなくても、このアドレス帳が使えるという。

小生は、ずっとNetscape系のメール・クライアントを使ってきて、2007年にマイクロソフト系に切り替えた。マイクロソフト系のメール・クライアントには「悪い製品がよい製品を駆逐?」(2) で指摘したように問題が多く、現在も不便さを耐え忍びながら使っている。しかし、今回は、操作やファイルの連続性を重視して、上記の選択肢(b)のWindows Live Mailを使うことにした。

小生はWindows Liveの機能は使う気がないので、Windows Liveのサーバーに接続したことはないが、マイクロソフトが言っているように、Windows Live MailはWindows Liveのサーバーに接続しなくてもメールの送受信ができる。また、従来使っていたアドレス帳からのインポートや更新もできる。こうして、小生は現在Windows Live Mailを、アドレス帳も含めて、単なるメール・クライアントとして使っている。

Windows Liveのサーバーに接続しなくてもアドレス帳が使えるということは、アドレス帳がパソコンのディスク内にもあるということだ。しかし、不思議なことに、これがどこにあるのか捜しても見つからなかった。ウェブ情報を調べたところ、同じ疑問を持った人が大勢いるようで、掲示板に質問が多数掲載されている。その回答の一つで、アプリケーション・プログラムのユーザー用データを格納するフォルダに、特殊なファイル形式で格納してあることが分かった。そのため、ユーザーはこのファイルを直接変更したり、移動したりすることはできないようだ。

何が問題か?

こうして、小生は今のところ支障なくメールの送受信をしているが、今回のマイクロソフトのメール・クライアントとアドレス帳の扱いには下記のような問題がある。

(a) 旧バージョンの機能は引き継ぐべき!

ソフトウェア・ハウスにはサポートの連続性が要求される。旧バージョンでサポートしてきた機能は新バージョンでもサポートするべきだ。事情があって旧バージョンの機能を廃止するときは、少なくとも1世代は新しい代替機能との並行サポートが必要だ。新旧両バージョンを一時期同時に使用する人も多いので、これは不可欠だ。零細ソフトハウスならいざ知らず、マイクロソフトのように実質上市場を制している企業にとっては、これは社会的責任である。

この点で、Windows 7でのメール・クライアントとアドレス帳の扱いには問題がある。

(b) メール・クライアントはSaaSにはなじまない!

現在世界中で「クラウド」が大流行で、その中心の一つは、ソフトのパッケージ販売から、SaaSとしてのサービスの提供への変化だ。パッケージ販売が中心だったマイクロソフトも、この流れに乗り遅れては大変と、SaaS型サービスの提供であるWidows Liveの世界を急速に充実させようとしているのは理解できる。

同社は、従来パッケージソフトとしてOSに括り付けて提供していた写真や動画の編集ソフトを、Windows 7ではSaaSにして、Widows Liveの世界に追い出してしまった。しかし、たとえこれらはいいとしても、メール・クライアントまでWidows Liveにしてしまったのは問題だ。

メール・クライアントとはメール・サーバーが提供するサービスに対応するクライアント側のソフトだ。したがって、メール・クライアント自身をSaaSにするということはあり得ない。Windows Live Mailもメール・クライアントとしての機能そのものは、前身のWindows Mailと基本的に同じである。変わったのは、従来クライアント側にあったアドレス帳のWindows Contactsがサーバー側に移り、Windows Live Contactsに変わっただけだ。したがって、メール・クライアント自身をWindows Liveの一員に移したのは適切とは言えない。

(c) アドレス帳はクライアント側にも必要!

では、アドレス帳をWindows Liveに移し、サービスとして提供するようにしたのはどうだろうか? もちろん、企業などでは、各個人が自分のアドレス帳を管理するよりも、企業全体で統一された最新のアドレス帳を各個人がサービスとして使える方が便利だ。また、いわゆる「デレクトリ・サービス」や「ソーシャル・ネットワーク」で、加入者全員の最新のメール・アドレスが調べられることは、人捜しなどのときに便利である。

しかし、個人用のアドレス帳は、大変重要で機密性の高い情報なので、外部での管理にゆだねたくない人も多いはずだ。外部に出せば、機密漏えいのリスク、情報喪失のリスクを免れないからだ。

したがって、サーバー側で管理するアドレス帳の意義は分かるが、それとは別に、クライアント側で管理するアドレス帳が是非とも必要である。

(d) 長期的戦略が必要!

マイクロソフトは近年、メール・クライアントを、Windows XP以前のOutlook Express、Windows VistaのWindows Mail、Windows 7のWindows Live Mailと、世代ごとに切り替えてきた。また、これに対応してアドレス帳も、Windows Address Book、Windows Contacts、Windows Live Contactsと切り替えてきた。そして、現在のものには上記のように大きな問題がある。と言うことは、次期バージョンでまた変わる可能性があると思われる。

いくら変わろうと、過去の遺産を重視しつつ、一定の方向に向かって進化するのなら一向に構わない。しかし、現状はまったく方向性が見えず、しかも、しばしば顧客ニーズに逆行しているように見える。これではOSのバージョンアップのたびにユーザーは振り回されてしまって、たまったものではない。

(1) “Looking for Windows Address Book”, Microsoft

(2) 「悪い製品がよい製品を駆逐?」、OHM、2008年1月号、オーム社