2010年12月31日金曜日

「Cell」の教訓


東芝がCellの生産から撤退

東芝とソニーは12月24日、ソニーが東芝から長崎の半導体工場を買い戻すと発表した。元々これはソニーの工場で、同社のPS3用のプロセッサ「Cell」を生産していたが、2008年に同社がこの工場を東芝に売却したものだ。

東芝は今回の売却でCellの生産から撤退するという。Cellは元々、ソニー、東芝、IBMの3社が共同開発したものだが、今後の生産はソニー、IBMの2社になるそうだ。

東芝の撤退は、Cellの需要先が当初の構想のようには拡大しなかったことが原因と思われる。そこで、Cellの当初の構想とその後の展開を振り返ってみよう。

Cell開発プロジェクトへの疑問

小生は、Cellの開発プロジェクトについて、オーム社の「OHM」2005年5月号の「『Cell』はどうなる?」で疑問を呈した。

Cellは2001年から2005年にかけて、ソニー、東芝、IBM、3社の共同開発チームによって開発された。前記の記事に記したように、その間、本開発プロジェクトの推進者であったソニーの久多良木副社長は、「Cellは、コンピュータの歴史における初めての変革だと思う。世界中のコンピュータにCellが組み込まれれば、1個のOSの下で連携動作しているように見える。CellをDVDレコーダ、テレビ、ホーム・サーバーなどに順次使っていく。Cellはコンピュータの概念を変える」という趣旨の発言を繰り返してきた。

前記の記事はこのような構想の実現に疑問を呈したのだが、その後Cellの採用はどう展開しているだろうか?

スーパーコンピュータ用としては?

前記の記事に、「性能の限界を追求するスーパーコンピュータには、それがCellになるかどうかは別にして、将来(Cellのような)ヘテロジニアスなマルチコアが有力な選択肢になると思われる」と記した。

実際、IBMは2008年に、Cellの強化版である「PowerXCell 8i」を使ったRoadrunnerというスーパーコンピュータを開発し、史上初めて1ペタFlops(毎秒1,000兆回の演算を実行)を達成した。これは2008年6月のTOP500(全世界で稼働中のスーパーコンピュータのランキング)で世界一になった。(1)

同じ「PowerXCell 8i」を使ったスーパーコンピュータは、2008~2009年に全世界で6台設置され、2010年11月のTOP500の7位、49位、120位、207位、208位、209位を占めている。7位はRoadrunnerで、現在でもこれがCellファミリーのトップで、2010年にはこれを超えるものは作られなかった。

2009年11月に、IBMのスーパーコンピュータ部門の副社長であるDavid Turek氏は、ドイツの雑誌のインタビューで、「PowerXCell 8i」のエンハンス計画を中止すると表明し、今後本プロジェクトの成果はヘテロジニアスなマルチプロセッシングに生かされることになるだろうと述べている。(2)

そして、2010年11月のTOP500では、インテルのマイクロプロセッサとNVIDIAの画像処理用LSIを組み合わせた、ヘテロジニアスなスーパーコンピュータが上位4機種中3機種を占めている。

こういう状況から、Cellの後継製品が今後スーパーコンピュータの世界に新規に登場することはなさそうだ。しかし、(Cellで使われたような)ヘテロジニアスな方式は今後のスーパーコンピュータの有力な実現方法になると思われる。

AV機器用としては?

では、AV機器用としてはどうだろうか? 前記のように、ソニーは当初、テレビ、DVDレコーダ等、AV機器に全面的にCellを採用する考えを表明していた。しかし、今日現在Cellを使ったAV機器は一部の業務用機器に限られるようだ。

現在Cellを採用している一般消費者用のAV機器は東芝の液晶テレビ「Cell Regza」だけのようだ。しかし、その価格は、55インチで約60万円、46インチで約45万円と、3D対応とは言え極めて高価だ。Cellの演算性能を生かした高画質が謳い文句だが、果たして消費者に受け入れられるのだろうか? 

Cellの教訓

開発プロジェクトに失敗はつきもので、失敗を恐れていては何もできない。しかし、市場の方向性についての誤った判断はできるだけ避ける必要がある。

Cellのプロジェクトから学ぶべき教訓の一つは、前記の記事にも記したように、「プロセッサは、所詮、ソフトウェアを動かすための道具に過ぎない」ということだ。したがって、ソフトウェアとハードウェアのインタフェース、つまりアーキテクチャを変えることに対する抵抗は絶大である。多数の欠点を抱えながら、IBMの360アーキテクチャやインテルのX86アーキテクチャがいまだに生き残っているのはこのためだ。

もう一つの教訓は、大量生産されている汎用品の価格競合力は絶大だということだ。そのため、一般消費者用の製品に比べれば、カネに糸目をつけない市場で競争しているスーパーコンピュータの世界でさえ、インテルやNVIDIAの汎用品を使いこなすアプローチが主流になっている。

こういう教訓はITの過去数十年の歴史を通じて不変である。新アーキテクチャを起こしたり、特殊な仕様のLSIを開発したりしようとするときは、こういう現実をよく思い起こす必要がある。

(1) 酒井 寿紀、「『Cell』が世界最高速を実現!」、OHM、2008年9月号、オーム社

(2) “IBM PowerXCell-8i processor said to be last of its kind, but Cell will live on”, Engadget, Nov. 23, 2009

2010年12月27日月曜日

「ホーム・ネットワークはどうなる?」のご紹介

オーム社の「OHM」2010年12月号に掲載された上記記事を小生が運営するウェブサイトに再録しました。

[概要] 家庭内でLANで接続されているパソコンの間では、ファイルをシェアしたり、ファイルを転送したり、プリンタを共用したりできるようになった。今後はスマートフォンや電子書籍端末との間でも同様なことができるようになるだろう。 ―――>全文を読む

2010年12月15日水曜日

内部告発に新時代到来!

情報漏洩事件が続発!

今年9月7日に尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船と中国の漁船が衝突した。日本政府は、巡視船が撮影したそのビデオ映像を一般に公開しなかったが、それを入手した海上保安官がそれをYouTubeに投稿したため、全世界の人がその映像を見ることになった。

10月末に警視庁のテロ捜査情報が、ファイル交換ソフトのウィニーでインターネット上に流出していることが判明した。イスラム教の捜査協力者の氏名、顔写真、住所、家族構成などを含む114件の文書で、流出後1か月間に全世界で1万人以上の人からアクセスがあったという。

オーストラリア人のジュリアン・アサンジュ氏が開設した内部告発サイトWikiLeaksが、今年次々と米国の機密情報を公開した。4月には米軍のヘリコプターからイラクの民間人12名を射殺した時の映像を公開した。7月にはアフガニスタンでの戦争、10月にはイラクでの戦争の機密情報を公開した。これによって非公表だったイラクの民間人の死傷者数を米軍が把握していることが判明し、また、米軍がイラク軍によって行われた拷問を無視していたことが分かった。そして11月以降、米国の在外大使館から国務省に送られた25万通の電文が順次公開されつつある。

「情断」が通じない世界に!

これらの情報漏洩にはすべてインターネットが使われている。インターネットによる情報漏洩は、いったん流出したら最後止めることができない。

小生はオーム社の雑誌の2004年4月号に「『情断』が通じない世の中に」という記事を書き、3件の事例を挙げた。

一つは、イラクで殺害された日本の外交官の遺体の写真を、外務省がインターネットから削除するよう要請したため、かえって大勢の人の目に触れるようになってしまった話。

2件目は、中国で買春した人の氏名や顔写真を日本の一般紙は報道しなかったが、インターポールが手配情報をインターネットで公表したので、誰でも見ることができるようになった話。

3件目は、ダイアナ妃の自動車事故直後の写真と称するニセモノが世界中に出回った話。この写真は今日現在もまだインターネット上に流れている。

今回の3件の事件は「情断」が困難なことを改めて示した。WikiLeaksにインターネットや資金流通のサービスを提供している事業者に、米国政府が圧力をかけて契約を解除させたという。しかし、いくらこういう対策を講じても、世界中にボランティアの支援者がいる以上完全な「情断」は不可能だ。

皆で渡れば恐くない!?

これらの機密情報には国家の安全にかかわるものがある。またその入手には犯罪がからんでいることも多い。そのためこれらの情報を報道するに当たっては、従来報道機関は細心の注意を払い、一大決心をしてきた。

海上保安官が尖閣諸島のビデオを、YouTubeに投稿せず日本のテレビ局に持ち込んでいたらどうなっていただろうか? 政府が公開を禁じた映像が放映されることはなかっただろう。日本のテレビ各局がこれを放映したのは、これがYouTubeに掲載され、誰でも見ることができる状態になってしまったからだ。

WikiLeaksの米国の機密情報も、一つの報道機関に持ち込まれたとしたら、報道されなかった可能性がある。しかし、WikiLeaksがこれをインターネットで公開し、全世界周知のものにしてしまった。それを各社がいっせいに報道すれば、一社だけ責任を問われることはない。

「皆で渡れば恐くない」のだ。WikiLeaksやYouTubeは、最初にインターネットで公開することによって、報道機関による機密情報の報道を容易にする。

WikiLeaksが新システムを確立!?

内部告発は昔からある。しかし、WikiLeaksはインターネットの技術を駆使してそれを容易にしてくれた。

まず、告発者に対する匿名性の保証が重要だ。そのため告発者の情報は極力残さないようにしているという。これは、ハッカーや事故などによる情報流出、政府機関による情報の没収などから告発者を守るためだ。

また、WikiLeaksの組織を政府機関やこれを敵視する団体から守るため、組織の所属メンバーを秘密にし、また、決まったオフィスは持たない。インターネットで連絡を取り合えば、この種の活動にオフィスは要らない。そんなものはない方が盗聴される恐れも減る。

そして、インターネットの使用法についてもいろいろ工夫している。ドメイン名の登録には、管理者の氏名、住所、電話番号、メールアドレスの公開が要求されるが、WikiLeaksは、これらの情報を一般には公表せず、業者に「気付」の扱いにしてくれる登録業者を使っている。

また、DNSサーバーの委託先とウェブ・サーバーの委託先を別にしている。こうしておけば、ウェブ・サーバーを複数用意しておいて、一つの委託先でサービスの提供が拒否された時は直ちに別のサーバーに切り替えることができる。

こいう対策を講じておいても、WikiLeaks自身が運営するウェブ・サーバーの数には限りがあるので、全部使えなくなる恐れがある。そのため、全世界でミラーサイト、つまりWikiLeaksのコピーを掲載してくれるサイトを募集している。WikiLeaksにウェブサイトのIPアドレスやパスワードを連絡すれば、データをアップロードして、ミラーサイトにしてくれる。こういうミラーサイトが現在全世界に1,000以上あるという。

こういういわば正式なミラーサイトとは別に、WikiLeaksのデータの全部または一部を勝手にコピーして掲載しているサイトも多数あるようだ。

これらのサイトのドメイン名にはWikiLeaksとは似ても似つかないものも多く、しかも毎日のように増えているので、これらのサイトをすべて検出して削除することなど到底不可能だ。

そして、内部告発情報の公開には、その情報の価値の評価と信憑性の検証が重要だ。WikiLeaksはそのため、独自に複数のメンバーで入念に検証しているという。また、最近の米国政府の外交電文の公開に当たっては、米国のNew York Times、イギリスのThe Guardian、ドイツのSpiegel、フランスのLe Monde、スペインのEl Paísという、各国を代表する報道機関の共同チームが結成され、このチームで検証が終わったものから順次公開されているという。

このように、WikiLeaksは内部告発システムの一つのモデルを提示している。

内部告発に新時代が到来!

国家に何がしかの機密情報が必要なのはもちろんだが、中には本来公開すべき情報が機密扱いになっていることもある。過去のベトナム戦争の実態や、現在のアフガニスタンやイラクの戦争の実態などだ。そして、この種の情報についての内部告発の志望者は跡を絶たず、ソースを秘匿して情報を公開してくれる仕掛けに対するニーズは高い。

WikiLeaksが内部告発サイトの運営のモデルを提示したので、たとえWikiLeaksがつぶされても、今後類似のサイトが続々と出現するだろう。現在のWikiLeaksは英語の情報が中心で、おもに国家機密を扱っているが、今後は他の言語を扱うもの、大企業の秘密を扱うものなど、対象にする情報も広がっていくと思われる。

こういう内部告発が増えれば、ニセ情報も増える恐れがある。機密情報の信憑性の検証には限界があり、また、最新のCG技術を駆使すれば、映像の改変なども容易だからだ。今後これらの情報に接するときは細心の注意が必要である。